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横浜地方裁判所 昭和40年(レ)66号 判決 1967年1月18日

控訴人 藁品政吉

被控訴人 池田裕 外二名

主文

一、原判決を左のとおり変更する。

二、被控訴人らが控訴人に賃貸している別紙物件目録<省略>記載の建物の賃料は、昭和三七年一〇月一日以降一カ月金二、六五七円であることを確認する。

三、控訴人は被控訴人らに対し、昭和三七年一〇月一日から昭和四〇年二月二八日まで一カ月金一、五五七円の割合による金員を支払え。

四、被控訴人らのその余の請求を棄却する。

五、訴訟費用は第一、二審を通じてこれを三分し、その二を被控訴人らの、その余を控訴人の各負担とする。

六、この判決は、第三項に限り被控訴人らが控訴人に対して金五〇、〇〇〇円の担保を供するときは仮りに執行することができる。

事実

控訴代理人は、「一、原判決中控訴人敗訴の部分を取消す。二、被控訴人らの請求を棄却する。三、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする」との判決を求め、被控訴代理人は、「一、本件控訴を棄却する。二、控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張は、控訴代理人において、

「本件の場合、別紙物件目録記載の建物(以下本件建物という)の相当賃料額は、近隣建物の賃料の増額実情及び地価の値上りの実情に照らして判定するのが適当である。

(一)  本件建物の敷地(以下本件土地という)について地価の上昇状況は、昭和三三年に比し昭和三七年には約二倍の値上りとなつている。この上昇比率でいけば本件建物の昭和三七年当時の賃料は既定賃料一、一〇〇円の二倍増即ち一カ月二、二〇〇円となる。

(二)  更に、本件建物と共に被控訴人らから賃料増額の調停申立がなされた訴外池田留吉、同岩沢豊治の賃借建物については、いずれも賃料が一カ月六八〇円から一、三〇〇円に増額されて調停が成立し、従つて右建物の賃料は一・九一倍上昇された。本件建物の場合も右上昇率によるならその賃料は一カ月二、一〇〇円となる。

(三)  なお近隣の建物賃料の増額事情については、原判決事実摘示欄、被告の主張第三項(3) 記載のとおりであり、訴外中村志ま、同杉崎実関係の賃料は、前者が比較的広い道路に面しているとの理由で、後者が電気商を営む店舗として使用しているとの特殊の理由で、いずれも著しく増額されたのであるから右二者を除外し、その他の八名に関する賃料の増額率をみると平均二・一七倍の増額となつている。

従つて本件建物についても右比率で計算すると、その賃料額は一カ月二、三七八円となる。

以上のとおりの地価の上昇、調停による家賃増額請求の結果及び近隣の建物の賃料増額率に照らすと、本件建物の昭和三七年一〇月一日当時における賃料は、既定賃料一カ月一、一〇〇円を二・一七倍増額した一ケ月二、三七八円が相当である。」

と述べ、被控訴代理人において証拠抗弁として、

「当審における鑑定人蔵元二治の鑑定の結果によると、『一般に月額家賃は土地建物価額を投資額とし、この投資額に年期待利廻りを乗じた利潤額に公課、保険料、修繕費、管理費等の諸経費を加算した額を年額賃料とし、その一二分の一を月額賃料とするのが一般的である』としながら、一方『新規査定家賃額と従前家賃額の差額の原因は、土地建物の値上りによることが最も大きな原因と判断されるので、この土地建物の値上りによる利益を一方的に家主側が享受することは妥当と思われないので、この値上り分を家主、借主に各々折半するのが最も適正と判断し』として結論を出している。

しかし、どのような理由から家主、借主が土地建物の値上り分を折半するのが最も適正なのか、またどのような理由で本件家賃については『一般的』な場合と異るのか判然とせず、鑑定の結果について論理の矛盾があり、到底納得できるものではない。」

と述べたほかは、原判決の事実摘示のとおりであるからこれを引用する。

当事者双方の提出、援用した証拠<省略>……………ほかは、原判決の事実摘示と同一であるからこれを引用する(ただし、原判決書添付物件目録を、本判決書別紙物件目録のとおり訂正する。)

理由

一、本件建物が被控訴人らの所有であり、控訴人が被控訴人らから右建物を賃借していること、昭和三七年九月当時における右建物の約定賃料が一カ月一、一〇〇円であること、被控訴人らが同年同月一五日控訴人を相手方として横浜簡易裁判所に賃料を一カ月五、七五〇円に増額するよう調停の申立をし、右調停申立書は同年同月中に控訴人に到達したこと、右調停は昭和三八年一月一七日不成立に終つたこと、本件建物は地代家賃統制令の適用を受けているものであることは当事者間に争いがなく、反証のない本件では、右調停申立書の送達により被控訴人らから控訴人に賃料増額の意思表示がなされたと認めるのが相当である。

二、そこで先ず被控訴人らが賃料増額を請求し得る事由があるか否かについて検討する。

原審における証人藁品てつ、同池田富美子の各証言及び弁論の全趣旨によると、本件建物は大正年間、控訴人の先代時代から賃借していたものであること、右建物の賃料は昭和二六年以降控訴人主張のように変遷してきたこと、賃料が前記一カ月一、一〇〇円と約定されたのは昭和三三年七月頃であり、本件増額の意思表示のあつた昭和三七年九月中までに約四年二カ月の期間が経過していることが認められ、当審における鑑定人蔵元二治の鑑定の結果、同鑑定人尋問の結果によると、昭和三七年一〇月当時における本件土地の現況価格は四五八、〇〇〇円、本件建物の価格は七六、〇〇〇円であること、前記既定賃料一カ月一、一〇〇円が約定された昭和三三年七月当時に対し昭和三七年一〇月当時における本件土地建物の各価格はそれぞれ三四五パーセント、一五三パーセント近く上昇していることが認められる。更に、被控訴人らは訴外池田留吉、同岩沢豊次に各賃貸している本件建物付近の建物、各一九・八三平方メートル(六坪)についても、昭和三七年九月一五日賃料増額の調停申立をし、その頃右訴外人らとの間で従前の賃料一カ月各六八〇円を昭和三八年一月一日から一カ月一、三〇〇円に増額するということで調停が成立したこと、本件建物の近隣で被控訴人らが訴外海原塚三郎外九名に賃貸している一〇軒の建物の賃料は、控訴人主張のような額に変遷していることは当事者間に争いがなく、当審における証人池田昭子の証言及び弁論の全趣旨によると、被控訴人らが前記訴外海原塚三郎らに賃貸している一〇軒の建物の現在における賃料も昭和三七年未頃ないし昭和三八年初め頃同じく調停によつて増額されたものであることを認めることができ、従つて右一〇軒及び前記訴外岩沢豊次の賃借建物と本件建物の昭和三七年一〇月当時における三・三〇平方メートル(一坪)当り単位賃料額は大体近い額であつたということができる。

ところで、本件建物が地代家賃統制令の適用を受けていることは前記のとおりであり、右建物の既定賃料一カ月一、一〇〇円が昭和三七年一〇月当時同令の統制額を超えていることは明白であるが、裁判所は同令一〇条に基づき、同令の趣旨を尊重参酌しつつ自ら是認し得る適正賃料額を決定し得るものというべきであるところ、前認定のような本件建物及び本件土地価格の上昇、近隣の建物の賃料状況、本件建物の賃料の変遷状況、当裁判所に顕著な、本件賃料増額の意思表示のなされた時期における一般物価の状況その他諸般の経済情勢を総合し、更にこれに加え、前掲証人池田富美子の証言及び弁論の全趣旨により本件建物の近隣にある前記一〇軒の賃借建物も地代家賃統制令の適用を受ける建物と認められるのに、前記のように昭和三七年末頃ないし昭和三八年初め頃の間に調停により同令による統制額を超える賃料増額がなされていること、控訴人自ら本件建物の昭和三七年一〇月当時における賃料は一カ月二、三七八円が相当であると主張していることなどを勘案すると、昭和三七年一〇月当時において本件建物の既定賃料一カ月一、一〇〇円は不相当になつたということができるから被控訴人らは賃料増額を請求し得るものといわなければならない。

三、そこで進んで賃料増額の範囲について判断する。

被控訴人らが本件建物の修理を殆んどしていないことは当事者間に争いがなく、これと前掲鑑定人蔵元の鑑定の結果及び同鑑定人尋問の結果によると、昭和三七年一〇月当時において本件建物につき新規の賃貸借がなされる場合の賃料は一カ月四、二一三円が相当であると認められる。

右賃料を一カ月六、六七〇円が相当であるとする原審における鑑定人駒井一夫の鑑定の結果部分は、同鑑定結果の根拠とする本件土地建物の価格、諸経費をいくらとみたのか明かでないし、前掲鑑定人蔵元の鑑定結果及び同鑑定人尋問の結果に照らし採用できず、その他右認定を左右する証拠はない。

ところで、今次の戦災に起因する極度の住宅不足による居住権の強化、それに伴う立退料の高騰の現象、更に地代家賃統制令による低賃料、また低賃料に起因して家主が修繕義務を履行することが事実上不可能となつたため借家人自身による畳、建具の取替えその他の修理が一般化したことなどによつて、借地権価格のように確立されてはいないし、また地域により差がはげしいとはいえ、一般住宅にも借地権類似のいわゆる借家権価格が自然発生的に形成されていることは当裁判所に顕著な事実であり、従つて本件のような継続中の賃貸借において適正賃料を判断するには、右のような借家権価格に対応する借家人の利益ないし権利を考慮するのが相当と考えられるところ、前掲鑑定人蔵元の鑑定人尋問の結果によると、本件土地建物の価格は昭和三三年七月当時二〇五、〇〇〇円相当であるのに対し、同建物の当時以降の既定賃料(一カ月一、一〇〇円)一年一三、二〇〇円から当時の諸経費を差引いて得た純収益を還元利廻りで還元した本件土地建物の収益価格は一二四、〇〇〇円にすぎず、右両者間に八一、〇〇〇円もの差があり、控訴人にこれに相応する権利ないし利益が生じていたとみられること、右当時における投資額(本件土地建物の価格)に対する利廻りは二・六パーセント程度であり、これを昭和三七年一〇月当時の投資額(本件土地建物の価格、前記認定のように五三四、〇〇〇円)に乗じて得た額、すなわち純利益に当時の諸経費を加えて算出してみた賃料月額は二、三〇〇円位であることなどが認められ、これと同証拠及び同鑑定人の鑑定の結果、前掲鑑定人駒井の鑑定結果中、「継続中の賃料は新規に賃貸借する場合の賃料約七割程度が妥当である」との部分を綜合し、なお、被控訴人らが訴外海原塚三郎ほか九名に賃貸している前記一〇軒の建物の賃料増額率が平均二・六倍程度であること(控訴人は右一〇軒のうち、訴外杉崎実、同中村志まの各賃借建物関係の賃料増額率が高いのは主張のような特別の事情に基づくものだと主張するが、そのような特別事情を認めるに足る証拠はない)を参酌すると、控訴人が現在継続賃借中である本件建物の昭和三七年一〇月当時における相当賃料は、前記新規賃貸借の場合の相当賃料一カ月四、二一三円と既定賃料一カ月一、一〇〇円との差額三、一一三円を二分し、その一を既定賃料に加えた額、すなわち一、五五七円+一、一〇〇円=二、六五七円とするのが相当であると認められ、この認定を左右する証拠はない。

なお、被控訴人らは前掲鑑定人蔵元の鑑定の結果は本件賃料の評価方法に論理の矛盾があると主張するが、同鑑定人尋問の結果によると、右鑑定結果にいう賃料算定の「一般の」場合とは新規賃貸借の場合の賃料の算定方法であり、「本件の場合、新規査定家賃と従前の家賃との差額を家主、借主が各々折半するのが適正」とあるのは、前記認定のように継続賃借中である控訴人には新規賃貸借の場合の賃借人の場合と異り、いわゆる借家権価格ともいうべき利益ないし権利を享受している点を考慮し、その割合からすれば、新規賃貸借の場合の相当賃料と既定賃料との差額の二分の一を右権利ないし利益を有する控訴人に均霑させるべきものと判断したものであることは明かであり、右鑑定結果に何ら論理の矛盾はないといわなければならない。

四、そうすると、本件建物の賃料は被控訴人らの前記賃料増額の意思表示の結果昭和三七年一〇月一日以降一カ月二、六五七円に増額されたというべきである。

五、控訴人は被控訴人らが既定賃料一カ月一、一〇〇円を一挙にその五・二倍もの五、七五〇円に増額請求することは権利の濫用であり、無効な行為であると主張するが、借家法七条所定の賃料増額請求権の行使は、同条所定の増額事由その他経済事情の変動によつて既定賃料では均衡を失つたと認められる場合に、増額請求権行使当時に客観的に定まつている相当額まで既定賃料が当然改定されるという効果を生じるものであり、また地代家賃統制令の適用がある建物の場合は、同令による統制額を超えて増額を求める場合には同令三、七条により都道府県知事の増額の認可のない限り増額し得ないのを原則とするから、単なる裁判外の意思表示のみでは相当額に改訂されるという借家法七条の効果をも生ぜず、その相当額が裁判で決定された場合にのみ、それが新たな認可統制額となるという意味においてその額まで改訂されるものであつて、増額請求者が改訂すべく示した賃料額は相当額についての主観的評価にすぎず、客観的相当額に何ら影響を及ぼすものではないから、増額請求者が不当に高額な主観的評価額を表示して増額請求したことのみでは相手方に何ら損害を与えるものではない。

よつて控訴人の右主張は採用の限りではない。

また、控訴人は、本件建物については控訴人が全て修繕改良工事を行つてきたのに、これを無視して被控訴人らが既定賃料に対し五・二倍もの増額請求をするのは信義則に反すると主張する。

しかしながら、建物の賃貸借契約当事者間における修繕改良工事費用の負担関係が、その建物の客観的な相当賃料を定めるに当つて考慮されることのあるのは格別、賃借人が以前に賃借建物につき修繕改良工事を行つてきたこと自体は賃借人の費用償還請求という、賃料増額請求とは別個の関係で解決されるべきことであり、賃借人が自己の負担で相当の修繕改良工事を行つてきたことにより賃貸人において賃料を増額請求しない趣旨の信頼関係が醸成されていたというような特別の事情が認められる場合のほかは、賃借人が修繕改良工事を行つてきたことをもつて賃貸人の賃料増額請求が信義則に反するということはできない。

前掲証人藁品てつ、同池田昭子の各証言によると、控訴人は被控訴人らが本件建物につき修繕をしないので、自らの負担で屋根の葺替え、畳の取替え、約三・三〇平方メートル(一坪)の台所の設置、押入の修繕、ふすま四枚及び玄関のガラス戸の取替え、電灯の増設などをしたことは認められるが、右認定の工事につき控訴人主張のような費用がかかつたこと及び控訴人主張のその余の修繕改良工事がなされたことについてはこれを認めるに足る証拠は何もなく、右認定の程度の修繕改良工事からすれば、当事者間に賃料不増額または増額率低率の特約があつたと推認できないのは勿論、前記のような信頼関係が醸成されていたとも認め難い。

その他、被控訴人らの本件賃料増額請求を信義則に反すると認めるに足る証拠もないので、控訴人のこの点に関する主張も採用できない。

六、以上みてくると、被控訴人らの本訴請求中、(一)本件建物の賃料が昭和三七年一〇月一日以降一カ月五、七五〇円であることの確認を求める部分は、一カ月二、六五七円の限度において正当であるから認容し、その余は棄却すべく、(二)昭和三七年一〇月一日から昭和四〇年二月二八日まで一カ月四、六五〇円の割合による金員の支払を求める部分は、一カ月一、五五七円の割合の限度で理由があるから認容し、その余を棄却すべきである。よつて、本件控訴は右の限度で理由があるから原判決を変更すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 森文治 柳沢千昭 門田多喜子)

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